絆の回復が、政治、社会、等、人間の心を豊かにしてくれるキーワードだと思います。  決して、お金があろうが、地位があろうが、絆を欠いている人間、そして、そうした人が集まる社会は、哀しみに満ちています。  

2009年06月22日

原爆症の認定基準の見直しに思う

 もう、若い方は知らない方もいらっしゃるだろうが、高度成長期には、日本の製造業の躍進の陰で、多くの公害が発生した。

 そのつけが、水俣病を始めとする、公害病だ。

 しかし、その公害認定および補償に関わる裁判は数十年続いた。

 その間に何があったか?

 公害云々の判定に関わった専門家の判断は正確だったろうか?

 或いは、政治の力で、そうした声が封じられたのか?


 最近になり、被害者たちが、その命が尽きるような切迫した頃になり、原爆症の認定に関して、裁判所でも被害者側に立った判決が出るようになった。

 この問題にしても、然り。

 しかし、ここまで、くるのに、戦後から通算すれば、ゆうに半世紀以上を要している。

 私には、こうした事態に至ったことは、関わった専門家と言える有識者の方々の責任、そして、世論の動向次第で動く政治の責任が大きいと思う。

 これが、科学と政治の関わりだ。

 これは、何も戦後の話、或いは日本だけの話ではない。

 人類が歩んできた愚かな歴史。

 そして、これからも、同じ過ちを繰り返すのではないだろうか。

 杞憂に終わればよいが。

 
posted by 野の草 at 18:35| 千葉 霧| Comment(0) | TrackBack(0) | 科学・技術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス: [必須入力]

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/122009731
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック